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2010年1月22日金曜日

非常のライセンス

  
八戸妖怪捜査官として
今後様々な状況に遭遇することが考えられるので、
このたび「カッパ捕獲許可証」を取得いたしました。

カッパ捕獲許可証

残念ながら遠野市カッパ淵限定の許可証です。
八戸のカッパ(メドツ)は許可対象ではありません。

あるいは八戸のカッパは自由捕獲可能なのかもしれません。
見つけ次第、勝手にひっ捕まえていいのです。


ちなみに、
この許可証には「カッパ捕獲7ヶ条」が記載されているのですが、
その中に
「捕まえるカッパは、真っ赤な顔と大きな口であること」
という一節があります。

この「真っ赤な顔と大きな口」は
前述の館越メドツ目撃談と一致するものであり、
東北のカッパ、あるいはカッパの一種族の明確な特徴だと考えて間違いないでしょう。

ひょっとしたら、
1627年に根城南部氏が遠野に移ったときに
八戸メドツの一部も一緒に遠野についていっちゃったのかもしれません。
もしそうだとしたら遠野のカッパと八戸のメドツは“同種”ということになります。

遠野民俗芸能しし踊り しし頭
(八戸市博物館:遠野市寄贈 遠野民俗芸能しし踊り しし頭)


遠野と八戸はなにかと縁が深いのです。

遠野カッパによって
八戸メドツの存在にますます真実味が増してきました。


そんなこんなで、
春(4/1)の解禁日になったら妖怪分析官と共に遠野市に赴き
カッパの1匹や2匹……

あれ?
カッパの単位は『匹』でいいのだろうか?
カッパ1匹、2匹、3匹……?
カッパ1頭、2頭、3頭……?
カッパ1尾、2尾、3尾……?
カッパ1体、2体、3体……?
カッパ1羽、2羽、3羽……?
カッパ1翅、2翅、3翅……?
カッパ1本、2本、3本……?
カッパ1人、2人、3人……?



(捕まえたカッパはキャッチ&リリースで元の場所に戻しましょう)

2009年11月7日土曜日

館越のメドツかトリかサルかキツネかナニカ…

 
館越のメドツ看板を見物調査しているうちに
いつの間にか誘われ(いざなわれ)ていた鳥居。



森林の深い緑の中に対極的な深紅で聳え立つ
ニンゲンが作った神の印。

鳥居 开


「八戸」の内にいて注意深くあたりを見回すと、
ことのほか鳥居が多いことに気がつくだろう。

古来から漁村と農村と城下町が徐々に習合しつつ拡大し続けた街には
ソレらソレゾレの“神”を奉る場所もまたソレゾレに必要となり、
結果、街中に混在・同居していったのだろう。
ソレは概ね統合され都合の良い“万能神”を生み出してゆくのだが…

ま、とにかく鳥居は各所に多数点在しているのだ。


さすがに↑コレは鳥居あり過ぎ!(この写真は三八城神社です)


そもそも鳥居とは、
神社などの入り口を示す“門”として置かれ、
神の場所と俗世界(我々の世界)の境目の役割を果たしている。
人間界から神の領域へ「通り入る」門 ⇒「とおりいる」から
「とりい」である。(通入説)
…ダ、ダジャレ?! ( ̄O ̄;)

また、
古事記によると、
天岩戸に隠れた天照大御神を出てこさせようと、
神々が「常世の長鳴き鳥」(ニワトリ)を鳴かせた折りに、
この鳥を止まらせるために用意した止まり木こそが、
鳥居の始まりとされている。
「鳥の居る処」⇒「鳥居」。
…ダ、ダイレクト?! ( ̄O ̄;)

そー考えると蕪島神社の鳥居は、
おもいっきり鳥居であり、
ことさらに鳥居であり、
鳥居過ぎるくらいに鳥居なのである。




そんなこんなで、
車の往来激しい車道脇に、
ほとんど唐突にポッカリ開いた異界への入り口に足を踏み入れると…
ソコには薄暗い“山”へと続く急な階段が立ち上がっていた。
鳥居と同色で塗られた金属の手摺りが、
遙か「神の御座すであろう場所」を示すように伸びている。



さっきまで自分が居た街は
汗ばむくらいの陽気だったのに、
一歩、鳥居の内の森林に足を踏み入れただけで、
ヒンヤリするような妖気である。

たぶん気のせいだ。

あるいは樹林のフィトンチッド効果なのかも知れない。

まぁどっちにしても鳥居の内の森は、不気味なほど涼やかだったのだ。

階段の先の“目的地”までの中腹と思われる踊り場に
なにやら水場のような場所があった。



いったい誰が何をするところなのか?

ただの水場なのか? あるいは奉られているのか?

そこんところの端っこに、なにやら小さな置物が……

メ、メドツ!?

館越だけに、(メドツ看板も近いし)メドツでも奉っているというのか?



しかし、
置物はサルだった。

サルですよ猿。さる。さるさる。モンキー。エテ公。

結局、そーゆーことなのだ。
メドツ看板を見に来たついでに立ち寄った鳥居の中の水場に、
なんらかを象った置物があれば、
ソレは無意識の先入観からメドツに見えてしまうのである。

その「先入観」と、当時の情報過少による「無知」こそが大部分の妖怪の正体なのかもしれなくもない。

しかし、まてよ…
メドツって、川に棲むサルっぽいナニカではなかったっけか?

確かに冷静に考えてみると、
山から下りてきて川で水浴びしたビショ濡れの猿(二足歩行中)は、
「体が子供みたいに小さく猿顔で体色は黒などのダーク系。
頭に皿が無い
」というメドツの目撃証言にあまりにも合致する。

やっぱり
サルですよ猿。さる。さるさる。モンキー。エテ公。

所詮はサル!

妖怪伝承に潜むミステリーなど、
所詮、現代の科学をまとい冷静な判断と沈着な物腰を身につけた捜査官にとって恐るるに足りぬ“常識”でしかないのだ。

そー思った瞬間、
さっきまでの「ヒンヤリ」感はスッキリ晴れ渡り、
足取りも軽く階段を駆け上っていた。

いやぁ、木陰が涼しくて気持ちが良ひなぁ。



そして目の前には“目的地”の最後の入り口と思われる真っ赤な鳥居が…



丁寧に一揖して鳥居を潜らせていただき、
祠に近づくと【館越稲荷社】とあった。



一般に「鳥居は赤いモノ」と思われがちだが、鳥居の赤は本来、稲荷神社を表す色だとされている。

そもそもこの赤は陰陽五行の「火」を表す色らしい。

一方、農作物や保存食品を喰い荒らす憎っくきネズミや害虫を補食するキツネの生態は、農耕民族にとって大変アリガタいモノであり、また狐のキツネ色の体毛は農業の地盤である「土」を連想させる色でもあった。

そこで、陰陽五行説くところの「火生土」(火が土を生む:いわゆる野焼き的なイメージ。また万物は火葬によって土に還る)にのっとり農耕に密接に関わるベストマッチングだと考えられ、稲荷神社にキツネが奉られるようになったのである。

そーなると、稲荷神社にキツネの好きそうな食べ物:油揚げ(当時としては最も動物性タンパク質っぽい食品。また油揚げ自体がキツネ色だった)などをお供えする人々が後を絶たなくなり、労せずとも美味しいモノが食べられるとあってキツネも益々集まって来て、境内はより強いキツネのテリトリーとなったのであろう。

そして堂々たるキツネがまた稲荷神社を更に神秘的に魅せた…という繰り返しの果てに日本中に拡散していったのではないか?

要するに稲荷神社とは元々農耕の神を奉る処であり、
農村の益獣のキツネは本人の知らないところで敬われたのである。
そして、
いつのまにか恵比寿神や弁財天同様、「富福」をもたらす万能神とその使いに作り替えられ、現代に至っている。

そんなこんなで稲荷神社は国内に数万社ほども分布する最大派閥神社となって、「鳥居=赤」のイメージを決定づけたワケなのだ。

ここ館越稲荷もそんな数万社の中のひとつである。

そして、八戸が誇る伝説のキツネ『藤五郎』が住処にしていた稲荷である。(あるいは、いまだに住んでいるのかもしれない)

藤五郎は他の野狐連中からも一目置かれるほど
化かしに長けたキツネだったらしい。

ちなみに、
特別な力をもったキツネは、
野良狐の野狐と、何者かに仕える善狐に分けられる。
人を化かしたり誑かしたりして悪さをはたらくのは主に野狐で、
益獣かつ善良な狐として人間に敬われるのが善狐である。
そして、善狐の中でも位が高く有名なのが稲荷神社の御先稲荷なのだ。

イタズラ藤五郎キツネは、その所業からみて野狐の部類だと思われるが、
稲荷神社に暮らしていたとすると善狐を目指していたのかもしれない。

良き者になろうと心がけても本能が悪さをしてしまう。

なんとニンゲン的なキツネであろうか?


ひょっとしたら館越のメドツとは
藤五郎キツネが作り出した幻影だったのではないか?

もしそうだったとしたら、
ソレは野狐のイタズラだったのか? 
ソレとも善狐として川の危険を知らしめるための警告を発していたのか?
 

2009年9月26日土曜日

館越のメドツ看板

 
きけんだ! よるな近づくな メドツが出るぞ 看板

コレ↑は、地域団体が妖怪の存在と危険性を認めた上で注意を促した例として、とても興味深く、けっこー有名な看板である。
しかも昭和51年(1976)と妖怪の存在認知例としては比較的新しい部類であろう。

妖怪の名は「メドツ」。
メドツ(メドチ)とは、青森県各所の川に棲息する猿っぽいナニカで、
河童かソレに類する妖怪だと考えられている。

メドツ(メドチ)という言葉は、水神、蛇神、龍蛇神などの「水霊」を表す「蛟」(みずち)が訛った語だとする説もあるが、伝承のメドチ達がことごとく悪さをして懲らしめられていることから、水の神である「蛟」よりも悪戯な「河童」に近い存在であり、河童と混同されているようだ。

おそらく、ワカラナイ事や手に負えないモノは全て神とか精霊とかで“まとめて”しまっていた昔の人々にとって、水棲の未確認生物は全部「水の霊」と考え、ひっくるめて「ミズチ」と呼び、訛ってメドチから更に訛ってメドツになったものだと思われる。

メドツの特徴は、
体が子供みたいに小さく猿顔で体色は黒などのダーク系。
頭に皿が無いことと、行動がシャレにならないような悪行三昧(人の命を奪うなど)であることなどから、いわゆるホノボノした民話に出てくるヤンチャな河童とは異なる存在だとも云われている。
八戸市内の櫛引八幡宮に伝わる有名な「メドツ伝説」には、メドツは『人を襲わないと餓死してしまう』とあることからも、やっぱり河童より凶暴な妖怪だと推測される。

青森県をはじめ日本各所には「水虎」という川の妖怪が悪さをした伝承が多く残っていて、ソレらによると河童が沢山の仕事(悪さ)をすると水虎に昇格し、48匹の河童を束ねる河童の大親分になるというのである。
元々「水虎」は中国の妖怪で日本には棲息していなかったのだけれど、「話」だけが日本に伝わり河童と混同されたか、或いはなんらかのルートで日本に入り込み棲み着いてしまった外来種妖怪なのか…? よくは解っていないのだが…。妖怪ですから。

もしもソノ伝承が“事実”であるならば、河童も悪行によって出世魚のようにグレードアップすることになり、

いたずらカッパ >> 人を襲うメドツ >> 悪の親玉:水虎

…という生物的変態も想像に難くない。

ひょっとしたら、ミズチ≠〔メドチ ≒ 河童 ≒ 水虎〕 なのかもしれないのだ。

まぁソノ辺はテキトーなくくりだったんだろうけど。妖怪ですから。


で、この『メドツ看板』は、
意外にも交通量の多い道路脇に普通に立っていて、
田向バス邸から少しだけ歩いた所にあった。



地域住民からの聞き込み調査によると、
以前は、この看板は無かったのだという。

昔、この場所は沢と言うか小川と言うか、まぁそんな処だったらしく、
その頃には、子供達がよく遊んでいて、コレといった危険などは無かったのだそうだ。
ところが…
コンクリートの用水路が出来てからは突然危険な場所になってしまった。
それで、子供達に危険を促す目的で、昔話のメドツが“悪者”として担ぎ出されたと云うワケらしい。



確かに、こんな雑草に覆われた水路は危険きわまりない。

きっとメドツだってこんな所に棲みたいなんて思わないだろうけど…。

そう。
こんな自動車の往来の五月蠅い、
コンクリートに塗り固められた水路にメドツは棲まないのである。
棲むんだったら、もっと静かで水のキレイな場所だ。

冷静に考えたら、ここにメドツが居るワケがない。
…というか、メドツなんて理に叶わないモノは元々存在しないのかもしれない。

ここに水路の危険性を知らしめるためにメドツ伝説を利用した看板があるだけだ。

今では子供だってメドツを信じないし、
「メドツ」という言葉さえ知らない八戸市民も多いだろう。

ニンゲンは「科学」の名のもとに
日々、数々の伝説を暴き伝承を葬り神々を無力化している。
そして妖怪だって科学の犠牲者なのだ。

妖怪はオモシロかったり無意味なヤツばかりではなく、
中には恐ろしいのやらニンゲンに悪さをするヤツやらもいる。
しかしきっと、
メドツをはじめとする妖怪に危害を加えられたニンゲンの数より、
ニンゲンの科学に基づく“常識”によって抹殺された妖怪の方がよっぽど多いはずだ。

妖怪の実在を証明する術は無い。
反面、妖怪が存在しない確実な証拠だって、まだ無い。
だからこそ妖怪は我々に夢想や可笑しみやモラルや戒めを与えてくれたのではないか?
どっちにしたって確認できないからこそ“妖怪”だったのである。
その“確認”の範囲をジリジリと狭め続けるのが科学であり、
日々狭まる常識の隙間に細々と棲息する存在こそが妖怪なのだ。

じゃぁ、そーであるならばですヨ、
この看板がある限り、
ここにメドツが居ると信じたっていいんじゃないのか?

そのほうが断然愉しい。

メドツなんて今時ナンセンスかもしれないけれど、
絶対いないなんて証拠だって無いのだから。


「きけんだ! よるな近づくな メドツが出るぞ」

いまどき子供だって信じない意味のない注意喚起看板は、
細々とメドツの存在を繋ぎ止める重要な看板であり、
地域住民の「粋」を伝える看板でもあるのだ。

だから、ここ↓にメドツはいます。
館越メドツ看板
館越のメドツ(想像図)今回の報告書を仕上げる直前!
我々捜査班の元に、
メドツ目撃談が寄せられた!
情報提供者は現在アラ50の方で、
その方が、そのまたお婆ちゃんから聞いた話によると、
館越のメドツは、
背丈は小学1年生ぐらいで、
真っ赤な体で真っ黒のおかっぱ頭、
頭に皿は無かったのだそうです。
少なくとも、そぉ遠くない大昔に、
ホントにメドツはいました!
「見た」って言ってんだから、
間違いないでしょう。



この看板から、また少しだけ歩いた同じ道路沿いに
鬱蒼とした山中にいざなうような赤い鳥居があった。



どうやら館越稲荷社への入り口らしい。


館越稲荷といえば…
あの藤五郎キツネが住んでいた処ではないか!

あれ? なんで? メドツは?
既にキツネに化かされているのか?!