
コレ↑は、地域団体が妖怪の存在と危険性を認めた上で注意を促した例として、とても興味深く、けっこー有名な看板である。
しかも昭和51年(1976)と妖怪の存在認知例としては比較的新しい部類であろう。
妖怪の名は「メドツ」。
メドツ(メドチ)とは、青森県各所の川に棲息する猿っぽいナニカで、
河童かソレに類する妖怪だと考えられている。
メドツ(メドチ)という言葉は、水神、蛇神、龍蛇神などの「水霊」を表す「蛟」(みずち)が訛った語だとする説もあるが、伝承のメドチ達がことごとく悪さをして懲らしめられていることから、水の神である「蛟」よりも悪戯な「河童」に近い存在であり、河童と混同されているようだ。
おそらく、ワカラナイ事や手に負えないモノは全て神とか精霊とかで“まとめて”しまっていた昔の人々にとって、水棲の未確認生物は全部「水の霊」と考え、ひっくるめて「ミズチ」と呼び、訛ってメドチから更に訛ってメドツになったものだと思われる。
メドツの特徴は、
体が子供みたいに小さく猿顔で体色は黒などのダーク系。
頭に皿が無いことと、行動がシャレにならないような悪行三昧(人の命を奪うなど)であることなどから、いわゆるホノボノした民話に出てくるヤンチャな河童とは異なる存在だとも云われている。
八戸市内の櫛引八幡宮に伝わる有名な「メドツ伝説」には、メドツは『人を襲わないと餓死してしまう』とあることからも、やっぱり河童より凶暴な妖怪だと推測される。
青森県をはじめ日本各所には「水虎」という川の妖怪が悪さをした伝承が多く残っていて、ソレらによると河童が沢山の仕事(悪さ)をすると水虎に昇格し、48匹の河童を束ねる河童の大親分になるというのである。
元々「水虎」は中国の妖怪で日本には棲息していなかったのだけれど、「話」だけが日本に伝わり河童と混同されたか、或いはなんらかのルートで日本に入り込み棲み着いてしまった外来種妖怪なのか…? よくは解っていないのだが…。妖怪ですから。
もしもソノ伝承が“事実”であるならば、河童も悪行によって出世魚のようにグレードアップすることになり、
いたずらカッパ >> 人を襲うメドツ >> 悪の親玉:水虎
…という生物的変態も想像に難くない。
ひょっとしたら、ミズチ≠〔メドチ ≒ 河童 ≒ 水虎〕 なのかもしれないのだ。
まぁソノ辺はテキトーなくくりだったんだろうけど。妖怪ですから。
で、この『メドツ看板』は、
意外にも交通量の多い道路脇に普通に立っていて、
田向バス邸から少しだけ歩いた所にあった。

地域住民からの聞き込み調査によると、
以前は、この看板は無かったのだという。
昔、この場所は沢と言うか小川と言うか、まぁそんな処だったらしく、
その頃には、子供達がよく遊んでいて、コレといった危険などは無かったのだそうだ。
ところが…
コンクリートの用水路が出来てからは突然危険な場所になってしまった。
それで、子供達に危険を促す目的で、昔話のメドツが“悪者”として担ぎ出されたと云うワケらしい。

確かに、こんな雑草に覆われた水路は危険きわまりない。
きっとメドツだってこんな所に棲みたいなんて思わないだろうけど…。
そう。
こんな自動車の往来の五月蠅い、
コンクリートに塗り固められた水路にメドツは棲まないのである。
棲むんだったら、もっと静かで水のキレイな場所だ。
冷静に考えたら、ここにメドツが居るワケがない。
…というか、メドツなんて理に叶わないモノは元々存在しないのかもしれない。
ここに水路の危険性を知らしめるためにメドツ伝説を利用した看板があるだけだ。
今では子供だってメドツを信じないし、
「メドツ」という言葉さえ知らない八戸市民も多いだろう。
ニンゲンは「科学」の名のもとに
日々、数々の伝説を暴き伝承を葬り神々を無力化している。
そして妖怪だって科学の犠牲者なのだ。
妖怪はオモシロかったり無意味なヤツばかりではなく、
中には恐ろしいのやらニンゲンに悪さをするヤツやらもいる。
しかしきっと、
メドツをはじめとする妖怪に危害を加えられたニンゲンの数より、
ニンゲンの科学に基づく“常識”によって抹殺された妖怪の方がよっぽど多いはずだ。
妖怪の実在を証明する術は無い。
反面、妖怪が存在しない確実な証拠だって、まだ無い。
だからこそ妖怪は我々に夢想や可笑しみやモラルや戒めを与えてくれたのではないか?
どっちにしたって確認できないからこそ“妖怪”だったのである。
その“確認”の範囲をジリジリと狭め続けるのが科学であり、
日々狭まる常識の隙間に細々と棲息する存在こそが妖怪なのだ。
じゃぁ、そーであるならばですヨ、
この看板がある限り、
ここにメドツが居ると信じたっていいんじゃないのか?
そのほうが断然愉しい。
メドツなんて今時ナンセンスかもしれないけれど、
絶対いないなんて証拠だって無いのだから。
「きけんだ! よるな近づくな メドツが出るぞ」
いまどき子供だって信じない意味のない注意喚起看板は、
細々とメドツの存在を繋ぎ止める重要な看板であり、
地域住民の「粋」を伝える看板でもあるのだ。
だから、ここ↓にメドツはいます。


我々捜査班の元に、
メドツ目撃談が寄せられた!
情報提供者は現在アラ50の方で、
その方が、そのまたお婆ちゃんから聞いた話によると、
館越のメドツは、
背丈は小学1年生ぐらいで、
真っ赤な体で真っ黒のおかっぱ頭、
頭に皿は無かったのだそうです。
少なくとも、そぉ遠くない大昔に、
ホントにメドツはいました!
「見た」って言ってんだから、
間違いないでしょう。
この看板から、また少しだけ歩いた同じ道路沿いに
鬱蒼とした山中にいざなうような赤い鳥居があった。

どうやら館越稲荷社への入り口らしい。
館越稲荷といえば…
あの藤五郎キツネが住んでいた処ではないか!
あれ? なんで? メドツは?
既にキツネに化かされているのか?!
1 件のコメント:
私はこの近くに住んでいました。
この場所は子供の頃遊んだ思いで深い場所。
メドツは出ませんでした。
ハグロトンボがヒラヒラ飛び、透明な水が流れていました。
ヤマメかイワナか魚が素早く泳ぎ、子供にはたまらない遊び場でした。
類家田んぼが宅地になるにつれこの用水路は用無しになったのでしょう。
中学校は一中が目の前だったのですが、
学区割で田んぼの真ん中にポツンと建つ三中でした。
懐かしい思い出です。
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