…そんなこんなで、
一般的な「八戸太郎物語」は“完結”した。…かのように思われているけれど…
実は八戸太郎の御話は「八戸の負の歴史」としてもう少しだけ続く。
その後、なんとあろうことか!
当時のエライ人達は沿岸漁民達の反対を押し切り鮫村恵比寿浜への捕鯨会社誘致を決めてしまったのである。
鮫村の漁民を鰯の大群に導き繁盛と安定をもたらした、あのヱビス様(鯨)を、こともあろうに、その恵比寿浜で捕鯨〜解体するというのだ!
なんと罰当たりな方向転換であろうか?
まさに「近代化が神を殺す」を、まんま体現したような出来事である。
そして実際に東洋捕鯨会社が操業を開始したことにより、
恵比寿浜は文字通り「血の海」と化した。
八戸で育った者ならば歴史の授業や誰かの御話で誰もが知っているであろう「海が鯨の血で真っ赤に染まった」という、あの“史実”である。
鯨は、肉は勿論、油を採るためにも、まことに割の良い重宝する“獲物”だったという。
前述の「漂着ヱビス」1頭で近隣村落が潤うというのだから、活きのいい鯨を片っ端から捕まえてバラしていったら、ソレこそ莫大な利益を産むのは必至である。
そんなワケで、規程の操業期間を過ぎた後も東洋捕鯨会社は捕鯨を止めようとはしなかった…。

恵比寿浜の海を一望できる西宮神社にて、
良き友人だったニンゲン達が仲間のクジラを狩る残虐な光景を見せつけられた八戸太郎は、いったいどんな気持ちになっただろうか?
仲間達の血で真っ赤に染まる恵比寿浜には、もう以前の、漁民達との温かな交流の記憶は微塵も残ってはいなかったであろう。
ソレどころか、恩を仇で返すようなニンゲンの行為に、怒りを覚えないハズはない。
親密だった分だけ、裏切られたショックは大きく恨みは深かっただろう。
八戸太郎が妖怪変化するには十分過ぎる銃爪である。
ソレはまるでジブリ映画『もののけ姫』の劇中で、
自然を守る主(獣神)がニンゲンの兇弾によってタタリガミに変異してしまう状況と同様の経緯だったのだ。
荒ぶる海獣の祟りを裏付けるように、
あんなに大漁を誇り全国的にも有数の鰯産地として知られた八戸の海から、鰯が消えていった。
ソレどころか他の魚介類も姿を消してゆき、漁業が成り立たなくなってしまった。
いきおい漁民達のストレスも、どんどん高まっていったワケだ。
そして遂に、明治44年(1911)11月1日には、歴史的大事件「東洋捕鯨鮫事業所焼討事件」にまで発展し、多くの損害を出したのである。
鯨によってもたらされた繁栄の分だけ、
鯨の血によって奪われた海産資源や失った“信頼”は膨大だった。

『…その後、八戸太郎の恩恵を忘れ去った村人達は八戸太郎の怒りにふれましたとさ。どっとはらい』
これからは、
この一連の“史実”までを八戸太郎伝承として後世に語り継ぐべきなのではないだろうか?

八戸太郎は、
たんなる鯨だったのか?
それとも海神様の使いだったのか?
あるいはホンモノの神になれたのか?
ニンゲンへの恨みによって妖怪になってしまったのか?
被害者だったのか加害者だったのか?
裏切りと復讐は、どっちが罪深いのか?
海を守るために傍若無人なニンゲンを祟る行為は、
はたして神の所業なのか悪魔の仕業なのか?
いったい海は誰のものなのか?
その答えは、
我々ニンゲンひとりひとりソレゾレの、
“自然”に対する思いや行為の中にこそアルのではナイか?
なにはともあれ、
今日の恵比寿浜は至極平穏に見える。

今回の1次調査の〆として、
八戸太郎さんと恵比寿様に敬意を表したくて、
ヱビスビールの空き缶に恵比寿浜の海水を汲んで、鯨石にかけて差し上げた。
「どーだい太郎さん? 近頃の恵比寿浜の水も、まんざら悪かぁないだろ?」
恵比寿浜の潮水に濡れた鯨石は、
心なしか円熟した鯨のように黒々艶やかに輝いて見えた。
—八戸太郎第1次調査補鯨おわり—
2 件のコメント:
はじめまして。
2018年8月に青森旅行して,蕪島で会った地元の方にたまたま
聞いた鯨石を見に行きました。
その後自分のサイトの記事にするときに調べていて,
この調査結果を知りました。
深い話だったんですね。感動しました。
2011年の津波では大変だったそうですが,
八戸太郎はどう思っていたでしょうね。
八戸市公民館 館長 柾谷 伸夫さんの著した
「鮫 残 照」と言う本を見ています。
2020年10月、根城の広場で催された祭りで披露された「墓獅子」。
みちのくトレイルを紹介する映像を撮影しています。
えんぶり、三社大祭りの映像も予定していますが、
今年は無理そう。
印象深い八戸とその周辺をじっくり堪能していきましょう。
コメントを投稿