2009年11月7日土曜日

館越のメドツかトリかサルかキツネかナニカ…

 
館越のメドツ看板見物調査しているうちに
いつの間にか誘われ(いざなわれ)ていた鳥居。



森林の深いの中に対極的な深紅で聳え立つ
ニンゲンが作った神の印。

鳥居


「八戸」の内にいて注意深くあたりを見回すと、
ことのほか鳥居が多いことに気がつくだろう。

古来から漁村と農村と城下町が徐々に習合しつつ拡大し続けた街には
ソレらソレゾレの“神”を奉る場所もまたソレゾレに必要となり、
結果、街中に混在・同居していったのだろう。
ソレは概ね統合され都合の良い“万能神”を生み出してゆくのだが…

ま、とにかく鳥居は各所に多数点在しているのだ。


さすがにコレは鳥居あり過ぎ!(この写真は三八城神社です)


そもそも鳥居とは、
神社などの入り口を示す“門”として置かれ、
神の場所と俗世界(我々の世界)の境目の役割を果たしている。
人間界から神の領域へ「通り入る」門 ⇒「りい」から
とりい」である。(通入説)
…ダ、ダジャレ?! (O;)

また、
古事記によると、
天岩戸に隠れた天照大御神を出てこさせようと、
神々が「常世の長鳴き鳥」(ニワトリ)を鳴かせた折りに、
この鳥を止まらせるために用意した止まり木こそが、
鳥居の始まりとされている。
る処」⇒「鳥居」。
…ダ、ダイレクト?! (O;)

そー考えると蕪島神社の鳥居は、
おもいっきり鳥居であり、
ことさらに鳥居であり、
鳥居過ぎるくらいに鳥居なのである。




そんなこんなで、
車の往来激しい車道脇に、
ほとんど唐突にポッカリ開いた異界への入り口に足を踏み入れると…
ソコには薄暗い“山”へと続く急な階段が立ち上がっていた。
鳥居と同色で塗られた金属の手摺りが、
遙か「神の御座すであろう場所」を示すように伸びている。



さっきまで自分が居た街は
汗ばむくらいの陽気だったのに、
一歩、鳥居の内の森林に足を踏み入れただけで、
ヒンヤリするような妖気である。

たぶん気のせいだ。

あるいは樹林のフィトンチッド効果なのかも知れない。

まぁどっちにしても鳥居の内の森は、不気味なほど涼やかだったのだ。

階段の先の“目的地”までの中腹と思われる踊り場に
なにやら水場のような場所があった。



いったい誰が何をするところなのか?

ただの水場なのか? あるいは奉られているのか?

そこんところの端っこに、なにやら小さな置物が……

メ、メドツ!?

館越だけに、(メドツ看板も近いし)メドツでも奉っているというのか?



しかし、
置物はサルだった。

サルですよ猿。さる。さるさる。モンキー。エテ公。

結局、そーゆーことなのだ。
メドツ看板を見に来たついでに立ち寄った鳥居の中の水場に、
なんらかを象った置物があれば、
ソレは無意識の先入観からメドツに見えてしまうのである。

その「先入観」と、当時の情報過少による「無知」こそが大部分の妖怪の正体なのかもしれなくもない。

しかし、まてよ…
メドツって、川に棲むサルっぽいナニカではなかったっけか?

確かに冷静に考えてみると、
山から下りてきて川で水浴びしたビショ濡れの猿(二足歩行中)は、
体が子供みたいに小さく猿顔で体色は黒などのダーク系。
頭に皿が無い
」というメドツの目撃証言にあまりにも合致する。

やっぱり
サルですよ猿。さる。さるさる。モンキー。エテ公。

所詮はサル!

妖怪伝承に潜むミステリーなど、
所詮、現代の科学をまとい冷静な判断と沈着な物腰を身につけた捜査官にとって恐るるに足りぬ“常識”でしかないのだ。

そー思った瞬間、
さっきまでの「ヒンヤリ」感はスッキリ晴れ渡り、
足取りも軽く階段を駆け上っていた。

いやぁ、木陰が涼しくて気持ちが良ひなぁ。



そして目の前には“目的地”の最後の入り口と思われる真っ赤な鳥居が…



丁寧に一揖して鳥居を潜らせていただき、
祠に近づくと【館越稲荷社】とあった。



一般に「鳥居は赤いモノ」と思われがちだが、鳥居の赤は本来、稲荷神社を表す色だとされている。

そもそもこのは陰陽五行の「」を表す色らしい。

一方、農作物や保存食品を喰い荒らす憎っくきネズミや害虫を補食するキツネの生態は、農耕民族にとって大変アリガタいモノであり、また狐のキツネ色の体毛は農業の地盤である「」を連想させる色でもあった。

そこで、陰陽五行説くところの「火生土」(火が土を生む:いわゆる野焼き的なイメージ。また万物は火葬によって土に還る)にのっとり農耕に密接に関わるベストマッチングだと考えられ、稲荷神社にキツネが奉られるようになったのである。

そーなると、稲荷神社にキツネの好きそうな食べ物:油揚げ(当時としては最も動物性タンパク質っぽい食品。また油揚げ自体がキツネ色だった)などをお供えする人々が後を絶たなくなり、労せずとも美味しいモノが食べられるとあってキツネも益々集まって来て、境内はより強いキツネのテリトリーとなったのであろう。

そして堂々たるキツネがまた稲荷神社を更に神秘的に魅せた…という繰り返しの果てに日本中に拡散していったのではないか?

要するに稲荷神社とは元々農耕の神を奉る処であり、
農村の益獣のキツネは本人の知らないところで敬われたのである。
そして、
いつのまにか恵比寿神や弁財天同様、「富福」をもたらす万能神とその使いに作り替えられ、現代に至っている。

そんなこんなで稲荷神社は国内に数万社ほども分布する最大派閥神社となって、「鳥居=赤」のイメージを決定づけたワケなのだ。

ここ館越稲荷もそんな数万社の中のひとつである。

そして、八戸が誇る伝説のキツネ『藤五郎』が住処にしていた稲荷である。(あるいは、いまだに住んでいるのかもしれない)

藤五郎は他の野狐連中からも一目置かれるほど
化かしに長けたキツネだったらしい。

ちなみに、
特別な力をもったキツネは、
野良狐の野狐と、何者かに仕える善狐に分けられる。
人を化かしたり誑かしたりして悪さをはたらくのは主に野狐で、
益獣かつ善良な狐として人間に敬われるのが善狐である。
そして、善狐の中でも位が高く有名なのが稲荷神社の御先稲荷なのだ。

イタズラ藤五郎キツネは、その所業からみて野狐の部類だと思われるが、
稲荷神社に暮らしていたとすると善狐を目指していたのかもしれない。

良き者になろうと心がけても本能が悪さをしてしまう。

なんとニンゲン的なキツネであろうか?


ひょっとしたら館越のメドツとは
藤五郎キツネが作り出した幻影だったのではないか?

もしそうだったとしたら、
ソレは野狐のイタズラだったのか? 
ソレとも善狐として川の危険を知らしめるための警告を発していたのか?