2009年8月27日木曜日

鮫の鯨の【八戸太郎】〜神としての八戸太郎〜

 
八戸太郎を紐解くには“安置”された西宮神社と奉られる恵比寿様を知る必要があるのかもしれない。


西宮神社は「西宮えびす」とも呼ばれるように恵比寿様を奉る神社で、兵庫県西宮市の西宮神社が総本社である。
(1月に「福男選び」と称して男たちが境内を激走する行事をTVで見かける思うが、まさにアレが西宮総本社だ)
西宮神社は日本全国に約3500社程もあり、八戸太郎の西宮神社(鮫)もその中のひとつである。

奉られる恵比寿様は、それはそれはたいそう美味しいビールであり、ソレ以前に七福神のひとりとして知らぬ者のいない超メジャー神様である。
御存知の通り「福の神」として認知されているが、魚籠や鯛を抱えている姿から解る通り、本来は「漁業の神」なのだ。
大漁を招くことから「漁村に福を呼ぶ」とされ、次第に農民の「五穀豊穣」や商人の「商売繁盛」まで網羅する万能の福の神となったようだ。

そして…
その恵比寿様の使い、あるいは化身として漁民達に崇拝されていた生物こそが、鯨なのである。
実際に東北を含む日本各所では鯨を「えびす」と呼んでいた。
おそらくは鯨を追えば高い確率で魚の群れに辿り着けたことから、漁業の神の思し召しと考え、恵比寿様の使い、あるいは恵比寿様そのものと考えたのだろう。
また、現在でもたまに見られる、群れからはぐれて浜辺に漂着した鯨を「えびす」と呼んでいる地域もあった。傷ついた鯨が1頭揚がるだけで周辺村落が尽く潤うことから海神の恵みと考えたのである。
「恵比寿」は、「夷」・「戒」などとも表し、来訪神・漂着神などともいわれていて「外から恵みをもたらすモノ」の意味を含んでいるという。


ソレがどんな状態だったにしても、漁民にとって鯨 ≒ 恵比寿様だったのだ。


さて、
昔の鯨にはホントに“神の意志”が宿っていたのか?
恵比寿神の使い(預言者)として漁民を導いたのか?
鯨の生態に基づく論理的な結果としての大漁だったのか?
たんなる偶然だったのか?
今となっては知る由も無いけれど…
鯨が大漁に結びつく“道標”だったことは確かなようだ。
鯨が漁村に福をもたらす“神”のような存在だったことも確かだ。

よって、現時点では「八戸太郎 ≒ 神」である。

八戸太郎がたんなる鯨だったとしても、ソレは鮫浦の漁民にとって、まさに“神”あるいは“神の使い”の役割を果たしたのだから。


ちなみに、
西宮神社にほど近い蕪嶋神社で奉られる弁天様は「弁天」ではなく「弁天」と表され、「才」(文芸々術)よりも「財」を招く神と解釈され、漁村:鮫浦では大漁と航海の神様として奉られている。



また、蕪島で繁殖する海鳥ウミネコは魚群を知らせる“目印”だったことから、天然記念物になるずっと以前から弁財天の使いとして可愛がられ大切にされてきたようだ。
鮫町のこの狭い沿岸エリアには漁業の神様であり七福神の二人がまるで居並ぶに鎮座し、神の使いのウミネコは益々調子付いて活気づいているワケだ。
アリガタヤアリガタヤ…



ある意味、鮫(鮫浦)には漁業の“結界”がはられているのだ。

ただひとつ…えびす(鯨)の姿はマッタク見られなくなったが……。


鯨がまったく見られなくなった理由なら、我々人間は胸に手を当てて考えれば即座に解る。

しかし、八戸太郎という“神”は調べれば調べるほど深く暗い伝承の海の底に潜っていってしまうのである。



事実上の無宗教とされる日本人が強く信仰するのが、八百万の神々、いわゆる“自然”だ。
その時代ごとの科学では解明できない、あるいはコントロールできない、手に負えないモノや現象には尽く畏怖し“神の意志”が関わっていると考えたのである。
また、自分たちの生命及び生活を脅かす驚異を退治(亡く)した後で“神”として奉る都合の良い手法もトラディショナルなジャパンスタイルだ。

ならばナゼ?
人間がこしらえた“神”としての資質が十分な八戸太郎は、
本来、神あるいは本尊として奉られているはずの鯨石は、
神社の前に野ざらしのまま横たえられ放置され続けているのか?


次回は生物(鯨)としての太郎を検証する。
まて次回

2009年8月22日土曜日

鮫の鯨の【八戸太郎】

サメのクジラの八戸太郎と言っても、
他所の地方の方々には、さっぱりチンプンカンプンであろう。

ここで説明せねばなるまい。

サメ(鮫)とは、軟骨魚綱板鰓亜綱に属する獰猛だったりそーでなかったりする魚ではなく、八戸市の端っこに位置する小さな港町「鮫」のことである。
八戸では古くからの漁師町である湊町・白銀・鮫町を総称して「橋向こう」と呼ぶ。
ここでいう「橋」とは湊町の柳橋であり、その橋を越えて(新井田川を越えて)沿岸部に入った途端に、住人の威勢は上がり一気に漁師及び五十集(いさば)の豪快な気質になるとされているのである。
そんな「橋向こう」にあって、鮫町の住人は比較的オットリしていてノン気なのが特徴だ。
また鮫町と言えばウミネコの大規模繁殖地:蕪島があることでも、全国的に有名である。


こういった↑のどかで牧歌的な漁業風景が今もみられる鮫町。


ようするに「鮫の鯨の八戸太郎」とは
「鮫町におわす八戸太郎という名前のクジラ」なのである。

八戸太郎は、古くは鮫浦太郎と呼ばれていたのだけれど、いまは「八戸」と改姓し公式にも「八戸太郎」と呼称するのが通例となっているようなので以下、八戸太郎とする。

さて、この八戸太郎さんを、はたして妖怪と呼んでしまっていいのか?
それとも海神なのか?
たんなる気のいいクジラなのか?

掛けて縺れた謎を解くべく、
八戸不思議捜査官(通称X-ファイル八戸と呼ばれているとかいないとか)は八戸太郎が“安置”されている西宮神社へ急行した!

ウミネコの執拗な爆撃を辛うじてかわしつつ蕪島エリアを抜け、
八戸市水産科学館マリエントを越え、
青森県立海洋学院の脇に、絵に描いたような畦道がある。
それを進み入ると、想像以上にこぢんまりとした西宮神社がある。



西宮神社と言えば、
恵比寿様の総本社である兵庫県の西宮神社が有名であろう。
そんなワケで、ここ鮫町の西宮神社にも、
しっかりと恵比寿様が奉られている。
しかもこの界隈は恵比寿浜と呼ばれているのである。
すぐそばの蕪嶋神社には弁財天が奉られ、
蕪島から見える「七福の岩」にはソレゾレ七福神が宿ると言わている。


そんなこんなで鮫駅前通りの花壇には七福神が立ち並ぶ始末だ。

ここまで七福神が“濃い”地域も珍しいのではないだろうか?
このへんも八戸の不思議として、今後の捜査対象になりそうである。
なんにしても、
この界隈は、なにかとオメデタイ土地柄なのかもしれない。

愛鯨家でヱビスビール愛飲家で、鮫で生まれ育ったオメデタイ性格の捜査官には堪えられない場所なのだ。




西宮神社の入り口に設置された石碑にはこう記されている…

鯨石
昔鮫の沖に、毎年姿を現す鯨がおりました。
その時は浜で鰯の大漁が續きましたので「八戸太郎」と名付けられ海の神様のお使いとして崇められていました。
その鯨が熊野灘で銛を打たれ、ようやく鮫の海岸にたどり付き、息絶えて、そのまま石になったと語りつたえられています。それが神社の前に横たわる鯨石です。

そーなのだ。
八戸太郎は“石”になって、
いままさにココ↓にいるのである。


ココから絶えず鮫浦を、そして大海を見続けているのである。

この海を見守っているのか?
ニンゲンに汚された海を憂えているのか?

石になった八戸太郎よ、なに思う?


↑太郎目線で海を臨む!
手前の岩の下にある朽ちた人形がとても怖かった…メソメソ


次回は八戸不思議分析官の協力を得て、
いよいよ八戸太郎の謎に迫る。

まて次回


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2009年8月17日月曜日

十王院前坂の【てん転ばし】

八戸不思議散策の記念すべき第一弾として、
十王院前の坂道に出没するという「テンコロバシ」にターゲットを絞った!
ナゼなら、
自宅から近いからだ。

そんなこんなで湊町の十王院。


ここ十王院には、
湊町出身の僧、津要玄梁(しんようげんりょう1680〜1745)作の地蔵菩薩像(市文化財指定)が安置されている。
玄梁は石仏彫刻をはじめ絵画や詩文、和歌などに長けた“芸術家肌”の僧だったらしく、この地蔵菩薩像の内部にも玄梁自身の墨書が収められている、らしい。
また津要玄梁は階上の寺下観音住職として、五重塔や灯明堂を建てたことでも有名である、らしい。

で、
テンコロバシは、そんな由緒ある十王院前の坂道を発光しながら上下に転がっているという妖怪なのである。
発現は主に雨模様の夜に集中するという。

“十王院前の坂道”というと、陸奥湊駅前通りからグレットタワーへ向かう坂道を思い浮かべてしまいがちなのだけれど、おそらくは(十王院墓地を抜けて)もう1本十王院側に入った、昼でも薄暗い急な路地坂の方が出現場所だと推測される。
ナゼなら、
車道で不用意に転がっていたとしたら…
クルマに轢かれるのがオチだからだ。


テンコロバシの調査なのに真夏の晴天真っ昼間に来ています。
ナゼなら、
テンコロバシが出そうな雨の夜にこんな所に1人で来たら…
何にも無くても確実に怖いに決まってるからだ。

あぁいいともさ、
チキン野郎とでも何とでも呼ぶがいいさ!


さて、
このテンコロバシがナゼに坂道を上り下りしているのかというと、どうやら通りかかったニンゲンの脚を引っかけて転ばすのが目的らしい。
だから「てん転ばし」。
しかし、転ばしたからといってソレ以上にどーこーするワケでもなく、
転んだらよし。
ソレ以上でもソレ以下でもない。
ただたんに他人を転ばしたいだけなのだ。
(ニンゲンにもこーゆー性悪なヤツは多々いる)

こーいった無意味な、あるいは意味不明な妖怪というヤツは日本中に数多く“棲息”しており、実は意味不明な妖怪の方が多いといってもいいくらいなのだ。
例えば、
寝ているヒトの枕をひっくり返す、だけ、の「反枕」(まくらかえし)
風呂の垢を舐める、だけ、の「垢嘗」(あかなめ)
小豆を洗っている、だけ、の「小豆洗い」(小豆とぎ)
…などがメジャーどころであろう。
(実は、ソレゾレに突っ込んで考察すると個々に恐ろしい妖怪なのだが、恐ろしいのは怖いのでここではオモシロ妖怪キャラとして扱っておく)

テンコロバシと同じで「転ばしてナンボ」の転ばし系妖怪は各地にイロイロ棲息しているようだ。

岡山県邑久郡には「てんころばし」という同名の妖怪がいるらしい。
岡山のテンコロバシは「テンコロ転ばし」とも呼ばれ、古来「砧」や「槌」をテンコロと呼んでいたことから、いにしえより伝わる「野槌」(野つ霊:野の精霊)に発祥しているものとも考えられている。
したがって、その姿は「槌」に似たモノであるらしい。

また福島県や山口県などにも「鑵子転ばし」(カンスコロバシ)という妖怪がいて、テンコロバシ同様のコロバシ属と思われる。
しかし「鑵子転ばし」は自分で自ら転がって来る実務タイプではなく、身を隠したまま鑵子や酒器・茶器などの“道具”を山中の崖の上から転がしてよこすという甚だコスい妖怪である。
同じ転ばし系であっても八戸や岡山のテンコロバシと若干スタイルを異にするようだ。

また、鳥取県に棲息する「ツチコロビ」や高知県の「タテクリカエシ」なども同属とされている。

なんにしても、ヒトを転ばして喜んでる迷惑な愉快犯的妖怪なのである。

でもチョット憎めない…というのが妖怪の“魅力”なのかもしれない。




で、この十王院前坂道、
御覧の通り、自転車ではキツイくらいの勾配と自動車も通れないくらい細い路地である。
コレが未舗装無街灯だった時代であれば…
雨で足場も悪く、夜は見通しもきかなかっただろう。
要するに、普通でも油断してると転びかねない坂道なのだ。

また、土葬された“人”から発生したリンが雨水と反応して発光する現象こそがヒトダマの正体だとする説が有力とされている。
であるならば、この十王院の墓地に面した急な坂道に発光する“物体”があったとしても、なんら不思議とするところではないだろう。

あるいは、漁火や船の航行を助ける沿岸の松明などが雨で乱反射し、十王院あたりまで届いたとも考えられなくもない。

と、いうワケで、
テンコロバシは、どーゆー形態にしろ「実在する」あるいは「実在した」という結論に達した。

テンコロバシ、います。

実際、夏休み浮かれした自転車中学生がこの坂で転んでました。

あ〜こわい。


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序:Modern Superstition.

八戸は不思議な街である。

いまだに“伝統”が現役でありながら高度に都市化されているのだ。

大袈裟なくらい海が広がり、
ソレにともなって河川が街のド真ん中を無遠慮に走り、
鬱蒼とした樹林が残り、深い濃霧に覆われ、
その上に何不自由無い近代都市が張り付いている。
そんな新産業都市の傍らでは古代の貴重な遺跡が続々と発掘されている。

トラディショナルとサイバー
「伝承迷信」と「産業科学」が違和感も無く融合しているのである。



こういう多彩な様式を合わせ持つ何でもアリアリの街には、
古来から“棲息”する非人非獣の未知生命体、
あるいは“存在”および“概念”が未だ居座り、
更には新たな都市伝説が産まれ得るのではないか?

市内に散らばる妖怪変化の伝承の多さはいったいどーだ?

十分に近代化された街に点在する多くの鳥居は何を意味するのだ?

そこで、
八戸に伝わる“不思議”の類を自由研究の課題として、
この街をなんとな〜く散策してみることにした。


要するに、暇なのだ。