数々の重要文化財や国宝を擁する櫛引八幡宮の境内にある「明治記念館」は、1882年に旧八戸小学校の講堂として建ち、同年同月に奥羽(東北)巡幸していた明治天皇の八戸行在所として利用された、歴史と由緒ある建物である。
また現在では県内最古の洋風建造物としても貴重な存在となっている。
この明治記念館が八戸小学校の講堂として“新築”されたのは元々、堀端町(現商工会議所のあたり)であり、1929年には内丸(現市役所のあたり)に移築されたのだという。
そして当時、その旧八戸小学校敷地内では、
妖しい事象がたびたび起こり、現在に伝承されている……
その頃、この旧八戸小学校の敷地内には大きなサイカチの木が生えていた。
【サイカチ】(皁莢:Gleditsia japonica)このサイカチの木は、重罪を犯した女を生き埋めにして、その上に植えられたものだったという。
マメ科の落葉高木で、主に山野に自生する他、河原にも生育するため別名:カワラフジノキとも呼ばれる。
幹や枝に棘があり、大きな莢の豆果を付ける。
そのせいか? この木の根元には時おり、振り袖姿のうら若き女(推定17〜18歳位)が現れ、その美しき姿を見た者は、ことごとく熱病を患った。
しかも、このサイカチの木の枝には、
摩訶不思議なことに「赤い子供の手」(赤手児)が“生った”!
その「手」は夜中に周囲を通る人に石を投げつけたともされる。
そして、その枝を切ると、木の枝から血が流れたというのだ!
また一説によると、このサイカチの下には「若宮神社」という祠が祀られていたらしい。
「若宮神社」とは、本宮の祭神の子や八幡神の若宮を祀っている場所で、多くは子供の神様として崇められる。
生き埋めにされた重罪の女と
その上に植えられたサイカチの木と
その木の下に立つ振り袖姿のうら若き美女と
その木に生る赤い児の手と、
子供を祀る「若宮」の祠…
ソレらを明確に結ぶ情報は現在、人々の記憶から薄れてミッシング・リンクと化しているけれど、一本のサイカチの木を巡る複数の伝承が、まったくの偶然や寓話だと云い切れはしないのではないだろうか?
現在では、
そのサイカチの木が何処に植わっていたのかさへ
…正確に知る者はいない。
しかし、
当時の八戸小学校敷地内の写真には、
実際に現生したサイカチの木がシッカリと写っているのだ……
サイカチの木があったのは紛れもない事実。
サイカチの木の豆莢形状や色味から、ある程度の“幻覚”も予想が付く。
サイカチの莢がナニカの拍子に弾けて“投石”のように豆が飛び散ることも無かったとは言えないだろう。
けれど、ソレ以外の妖しい事象は、どのように“現代的”解釈をすればいいのだろうか?
ちなみに、
九州〜四国の一部地域には「赤足」という妖怪がいて、
八戸の「赤手児」と対になる足部分だと説く(解く)妖怪研究家もいる。
「赤足」は山道などで、ふいに「足」を出したり絡めたりして、
歩行者を転ばそうとする妖怪なのだという。
また道具を使って足下を危うくするという言い伝えもある。
この一連の「歩行阻害行為」からすると、あるいは「てん転ばし」の類と思えなくもなく、もしもそうであるならば、八戸市内だけで『手』『足』が確認され、あわよくば全身をコンプリートする可能性も無きにしも非ず、かもしれなくもない。
※…当Blog『八戸妖怪巡り』は妖怪をネタに八戸散策するユルい企画であり、
マジ恐い怪奇・心霊現象の類には極力近づかないように心がけています。